PROFILE
経歴
新潟県出身、新潟市在住。
若かった私は漠然と物作りがしたいと思い立ち、印刷会社の求人に応募しました。入社すると雑務からスタート。当時の印刷はパソコンを使わないアナログの製法が現役で、1日中コピー機の前に立ち、ひたすらコピーを取る日もありました。
しばらくすると会社に、現在の主流であるDTPが導入され、私はDTP部に配属されました。DTP部での仕事はハガキや名刺などの小さい文字物ばかりでしたが、ポスターや会社案内などのデザイン物に志願して取り組みました。
私の子供の頃は、周囲の友達とくらべて絵が上手かったので「自分はデザインができる」と思っていました。しかし取り組むほど奥の深い世界とわかり、自分は井の中の蛙だったと知りました。
DTP部では一通りの技術を習得しました。テキスト加工とデーターベース桐・一括処理、イラストレーター、フォトショップ、QuarkXPress、EDICOLOR、InDesignなどです。そしてVisual Basicを使った自動処理アプリケーション開発を行うなど精力的に活動の範囲を広げました。
DTP部で研鑽の日々を繰り返しているうちに、インターネット回線費用の定額化が進み、お客様からホームページ制作の依頼が増えていきました。ご要望に応えるため、独学で制作技術を学びました。さらに、動的なサイトに憧れ、ASP+SQL Serverを使った自社用のイントラサイトアプリケーションを作るようになりました。そういう作業をしているうちに、Webに将来性を感じ、さらにWeb制作のめりこみました。
こうして印刷物制作は約10年携わり、その後はWeb制作に完全シフト。Web制作部のプレイングマネージャーを経て2020年内部独立。そして2023年5月退職。現在はフリーランスとして活動しています。
仕事に対する姿勢
自己能力評価は営業力△+技術力○+職人魂◎。朴訥でコミュニケーション能力は高いほうではありませんが、制作技術など仕事の話なら情熱的に話せます。そんなバランスの悪い人間ですが、お客様から頼りにしてもらえていると自負しています。
制作するサイトは、シンプルなデザイン、丁寧な作りがモットー。どうせつくるなら、お客様はもちろん、サイトに訪れるユーザーも喜んでくれるような仕事がしたい。そして自分もお客様とともに喜びを分かち合い、誇れるような仕事がしたいと思っています。
私の仕事の特徴を挙げるとしたら大きく二つあると思っています。
❶ 1ピクセルのこだわり
Webサイトを表示するモニターや液晶画面は「ピクセル」という発光体の集合で表現されています。ピクセルの1つ1つはほんの小さな点にすぎませんが、微細だからといって私は妥協しません。「神は細部に宿る」という信念のもと、職人として情熱を持って作業にあたることを心がけています。
❷ お客様の課題を自分事にする
私は伴走者として、最良のご提案をすることを目指しています。共に悩み、共に成功を目指します。Webサイトは利用者が求めていることに応えるために存在します。私が用いる「体験を売る視点」は利用者のための視点です。利用者の事を考えることが、いいサイト作りに欠かせないと思っています。
私は上の二つを実直に行うことで、制作実績ページの見出しにある「おっ なんか違う」という、他とはなにか違う凄みを生み出せると信じています。精一杯のまごころを込めてサイト制作・運営をお手伝いいたします。
EVIDENCE
さて、上の文章では「まごころ」などと書きましたが、とらえようによっては疑わしく聞こえるかもしれません。しかし私は実際にまごころを持って作ってきたことは事実です。少しばかり、その一例を書かせていただきます。
まごころのこもったサイトを目指して
きっかけは「短パン社長」サイトのリニューアル
2015年、私はある方からWebサイトの制作依頼を受けました。その方とは、当時テレビに出演していた短パン社長こと奥ノ谷圭祐さん。彼はSNSで個を発信し、多くの自社商品販売で売上を伸ばす経営者です。
奥ノ谷さんとの出会いはマーケティングの研修塾でした。彼に初めて会った印象は「体も声も大きくて豪快な人」でした。しかし共有する時間に比例して、彼が人を喜ばせようとする姿に惹かれ、いつしか「自分ができることで彼を応援したい」そんな気持ちになっていました。
そんな彼の新しいサイトを作るなら、一風変わった工夫がほしいと思いました。そこで、Webサイトで1番目立つHOMEページ先頭部分に特徴を与えました。彼がアパレルメーカーの社長であったことから「男性ファッション誌の表紙」に見立てたデザインにしたのです。
ファッション誌といえば月刊発行が一般的。だからサイトも毎月更新することにしました。そして更新時間は日付が変わる真夜中の0時としました。私が眠たかろうが、酔っていようが関係ありません。当時の私は、どういうわけか自分で0時にやると決めたのでした。さらにその月の表紙のビジュアルに合わせるため、Facebook・Twitter・Instagramのアカウントアイコンとカバーの画像6点もその都度作成しました。
WebサイトとSNSを毎月一新する手法は、当時では新しくインパクトがありました。表紙更新で話題性を与えられたサイトは、全体的にシンプルで見映えよくまとまり、多くの方から好評価をいただけました。サイトに付いたFacebookいいねの数は、短パン社長人気のおかげで1万を越えました。
深夜0時の更新作業を続けて、見えてきたもの
毎回の更新作業は、時間前にパソコンの前で待ち、日付が変わると同時にSNS内の画像を更新し、表紙更新を知らせるツイートをして完了します。
しばらく続けるうちに、短パン社長のフォロワーの方から真夜中にもかかわらずコメントをいただくことが増えてきました。「楽しみにしています」と言ってもらえました。
さらに私への感謝の言葉までいただくことがありました。お客様以外の方から御礼の言葉をいただくことはなかったので嬉しかったです。こうしたコメントに返信し終えて時計を見ると、あっという間に夜中1時を過ぎていました。
私は思いがけず、サイトの利用者の反応をじかに見て、自身も作り手として交流するという貴重な機会に恵まれたのでした。
「私は依頼者の想いに応えるだけではなく、利用者が楽しんでくれるホームページを作ることができたのかもしれない。」そう思いました。
「ホームページは誰に向けて作り、どうあるべきか」が感覚的にわかったのはこの頃でした。
そんな仕事を、私は会社の休業日や飲み会、元旦であろうと1度も欠かさずこなしました。
そして2022年5月、奥ノ谷さんが短パン社長をやめ、次の事業に進むタイミングにあわせ更新作業は終了。7年間の更新回数は111回。切り抜いた画像枚数は300枚以上。保存してあるフォルダを見ると我ながら驚きます。
7年間、よく続けられたものだと思います。サラリーマンなら普通、夜中や休みは休みたいものです。しかし私は「休みだからやれません」と言ったことはなかったです。
どうして続けられたのかといえば、私が決めたことを継続できる証明になるという自分のためもありましたが、やる気の源泉は奥ノ谷さんを応援したかったから、そして彼のファンの方々が喜んでくれたからです。
この仕事を通じて、ホームページの役割に改めて気付くことができました。「短パン社長」のブランディングのお手伝いができたこと、やりきった自分を誇りに思っています。
Webサイトはファン=応援してくれる顧客のために作ってみてはいかがでしょうか。利用者の体験を考えぬいて情報を提供することが、会社やご本人やそこに関わる人達の嬉しいことにつながっていくと思います。サイトを通じた利用者との交流が多くなれば、制作者の私としても仕事冥利に尽きます。
依頼者と制作者と利用者が互いに思い合い、循環の中で良質なコンテンツが醸成されていく――そんな風景を目指したいです。